Attachementのバックヤードの壁には、このポスターが貼られています。
最下部にはエストニア語とロシア語でクレジットが書かれている。
1988 という文字はきっと、西暦1988年を意味しているんだと思う。
1988年は、ソ連からの独立運動の最盛期であり、エストニア最高会議において国家主権宣言にこぎつけた年だった。エストニアの独立デモでは自発的に音楽が演奏されるという特徴があるった。ロックミュージシャンにより国家や民謡、聖歌などが奏でられたそうだ。デモ集会は音楽によりまとまり、祖国の歌を歌うことでナショナリズムが高まっていく。
Ei ole Üksi Ükski maa 誰も独りにしない国
この曲は1987年にエストニアのテレビ番組で初めて演奏され、1988年に発売された。
エストニア語版Wikiによると、エストニア人の愛国心、国家統一の歌だが、独立運動と並行して起きた、リン酸塩戦争(英語だとPhosphophyllite War)が元になっているようだ。
複数のWikiの内容を要約すると、以下のような経緯のようである。
エストニアのRakvere, Tools, Kabalaで、リン酸塩の採掘をするという計画がソ連により決定された。計画自体は1970年代からあり、ソ連共産党の指導下で粛々と準備が進められていた。予定では1997年ごろから採掘が始められることになっており、その前段としてそこでの労働に従事する人々のための住居が準備されているところだった。これらの街は、現在のエストニアが小さい独立国に分かれていたまだ14世紀の頃、Virumaaという国だった。
そんな中、ソビエト連邦どころか世界中を揺るがす事件が起きる。チェルノブイリ原子力発電所の爆発事故。この時対応に追われた 時のソ連書記長ゴルバチョフは、ソビエト連邦という国全体の秘密主義とセクショナリズム(と言うより、上からの懲罰を恐れて隠蔽する体質)によって、情報が集まらなかった。これを機に情報統制を緩和し、言論・報道の自由化「グラスノスチ」が行われることになった。
グラスノスチ以後、これまで報道されることがなかった「公害」も人々の目に触れることとなった。ソビエト連邦の事業により、バイカル湖などで環境汚染が発生していたと知った国民は、ソビエト連邦への怒りに震えたことだろう。
これにより、エストニア北部でのリン酸塩採掘計画もようやく学者やジャーナリストの目に触れることとなり、Virumaaが開発により景観を失うであろうこと、またエストニア国外から流入する外国人労働者によってエストニアの財政に打撃が生じるであろうという試算がなされた。これを受け、1986年の秋に最初の抗議活動が行われた。
この問題はエストニアテレビの番組での告発、論文の公開もあり国全体に広がり、抗議の手紙が多数寄せられたり、タルトゥの学生達は、「リン酸塩?いらねぇよ」的なことが書かれた黄色いTシャツを着て抗議活動を行ったようである。
この抗議活動は1987年の初頭から6月にかけ続いたが、1987年の5月に放送されたのがEi ole Üksi Ükski maaだった。
歌詞を見ていくと、前述の通りかつては別の国だった古エストニアの国々それぞれに、失われようとしている美しいVirumaaの自然を守るため、互いに助け合うことが必要であると訴える。個々人がエストニアを構成しているのであるという自覚を促し、統一国エストニアとして、ソビエト連邦に対し意思表示をする契機となる歌となった。
エストニア独立運動においては、リン酸塩戦争でも特徴的な抗議活動を展開したタルトゥでの音楽祭で初めて、人々が連帯していく機運が生まれたとされている。その時歌われた5つの愛国的な歌というのは調べても出てこないが、おそらくそこでも歌われたことだろう。それが1988年の5月。その後も独立運動で人々が音楽を通じて手を取り合い、声を合わせ、団結を強めていった。4年以上続けられた結果、最終的にエストニアは独立を勝ち取った。
この一連の活動は「歌う革命」と呼ばれた。
っていう歴史にまつわる超ドラマチックな歌(と恐らく同名の音楽祭)のポスターでした!!!すげえやつじゃん!!!!いやいやいや!!エストニアの国立博物館とかに展示されるレベルじゃん!!!!結構ちゃんとした紙だけど!!??
なんて、ポスターに書いてある文字について調べたら知ってしまった。やべえ、絶対にこのポスター汚さないようにしよう。。
さて今日は、やりたいことがあり少し早く恵比寿に行きました。
備屋珈琲店(びんやこーひーてん)で、コーヒー豆を買い、それを挽けばAttachementでいつでもコーヒーが飲めるようにしたかったのです。
調べたところ、実はエストニアは世界有数のコーヒー大好き国家だそうで、国民1人あたり年間469杯飲まれているそうです。世界ランク18位。ちなみに日本は340杯。日本の1/100の国民数で圧倒的に差をつけられているのが凄い。
そして僕もコーヒー大好き。めっちゃ好き。
エストニアと僕がコーヒーで繋がったのです。
じゃあお店で飲めるようにしちゃおう!
何も豆から挽かなくても…と思われるでしょうが、それに対しては「確かにな」とだけ答えておきます。
ちなみにエストニアにはスタバは無いそうです。それどころか欧米のチェーン店は展開されておらず、「バルト三国チェーン」ならあるそうです。なにそれ面白そう。
じゃあ豆を買うのもスタバやドトール、タリーズじゃない方が良いですよねということで、備屋珈琲店さんで購入しました。
豆を準備していただいている間店内を見てみたのですが、昔ながらの喫茶店という感じ。軽食、ケーキなども楽しめるようです。
それより「シチュー物語」ってなんだよ…恵比寿はいちいち気になる二つ名を馳せていやがるな…。
道具はこれとペーパーフィルター、ケトル。こんだけあれば誰でも簡単に豆からコーヒーが飲める!
店頭にこんなステキな冊子が置かれていました。やだセピアでかっこいい。
これに従い淹れたコーヒーはいつもより美味しかった気がします。適当にやらなかったのが成功の鍵な気がします。
100gで850円。なんかお安い…?気のせい…?
残った豆は、旭山動物園の日本酒利き酒セットだった瓶に入れてみました。柄が超良いんですよ。3本入って2千円しないくらいだったはずだからそちらも必ず買ってください。
やりましたね!これでいつでもコーヒーが飲めます!
いつかエストニアに追いつくため、僕はひとり戦いを始めるのでした。「飲む革命」だこれは。
決して、人数で押し切るなんていう野暮な作戦※はとらないぞ。飲むぞ!
※うどん消費量日本一の香川県に対抗するため、埼玉県のうどんを広める団体は「香川県の7倍の人口を活かし、全県民が1ヶ月にプラス2杯食べれば勝つる」という作戦を提唱した。ネットでずるいと話題になった。
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参考URL:
リン酸塩戦争(Phosphophyllite War)
日本語に翻訳すると読みづらかったので英語訳
Ei ole Üksi Ükski maaの歌詞
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