目を覚ますと、またびっしょり寝汗をかいていた。
このバイト、いろいろとおかしい。
大学の夏休みを持て余していた私が、となりの県の海水浴場で住みこみのバイトを始めたのはちょうど2週間前。バイト雑誌に載っていた高い時給と、丸々一か月分の生活費が浮くという理由で飛びついたのは、失敗だったかもしれない。そう思うには、いくつか理由がある。
まず、この海水浴場はかなり小さな砂浜だ。とはいえ、店員が私一人というのはさすがにおかしいだろう。来た当日、店長も嘆いていた。
「毎年5人くらい集まるのに、今年はあなただけだったんだよね…
去年の子が悪い噂を広めたらしくて、地元の子が来てくれないんだよ…」
そんな大事なこと、応募の電話で言うべきじゃないのか!という気持ちをグッと抑えつつ、ここに賭けて他のバイトを辞めてきてしまった私は、仕方なく働くことにした。
2県隣からの応募でも、行き帰りの交通費を出してくれた理由に合点がいった。
ちなみに悪い噂というのは、「幽霊が出る」とかいうありふれたものだった。窓から卒塔婆タッチができる部屋に住んでいる私には、何の問題もない話で安心した。
「Twitterで言われなかっただけ助かったというものだよ。おかげでお客さんは例年通り来てくれているからね。
人がいない分大変だと思うけど、お給料は募集の時よりも少し多く出すよ。」
最初こそ客の入りは少なかったが、季節が夏まってくると徐々に混み始めた。海水浴場が混むと私は忙しくなる。
この海水浴場は、ビーチに一定間隔でパラソルとテーブル・椅子が配置されていて、お客さんが座ると私が注文を取りに行き、料理を届ける。
海水浴場としては小さくても、めちゃめちゃ広いレストランのようなものだ。
そしてお客は、椅子よりもレジャーシートを敷いてくつろぎたがるため、他と離れて座る。
その結果、私の移動範囲が広大になるのだ。その広大かつ足元が砂浜というレストランで、注文ベルが鳴ればどこへでも行かなければならない。
特に土日の忙しさは日陰で休む暇もないくらいで、小学生のころ大嫌いだった、シャトルランを思い出した。
店長は当初、他のバイトも探すと言っていたが、こう忙しいと募集の手配もできないようで、すっかり諦めてしまった。
ワンオペ、日差し、忙しさ…毎日そのすべてが私を夢の中でも苦しめて、寝汗まみれの朝を迎えさせていたのだった。
ただこのバイト、体力的な部分を除けば良いところも多い。
こんな状況で私が抜けてしまうことを恐れているのか、こまめに水分補給をするよう声をかけてくれる。
住ませてくれている部屋も、広い部屋を一人で使えているし、食事もやたら豪華だ。
毎日かなり消耗しているので、思い切り食べても太らない。
なんならちょっと気にしていた体重が、笑えるくらい落ちてきている。夏が終わるころには、水着で働いても恥ずかしくないかもしれない。
「思い切り食べてくれるあなたを見れるのも、あと少しか…さみしくなるね」
日の沈む海を眺める。充実感の中で一日を終えられる今が終わってしまう。
店長は実家が海の家・ペンションを営んでおり、農業をやっている両親に代わって、季節ごとに仕事を入れ替えているそうだ。実家が営むペンションの経営は、秋は紅葉客、冬はスキー客を迎えてまた忙しくなる。
「あなたは良く働くから、また来てくれたらうれしいな。」
結局、幽霊は出なかった。
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時計に目をやると、まだ30分しか経っていなかった。
このバイト、いろいろとおかしい。
夏が終わり大学が始まった私は、新しいバイトを始めた。マンガ喫茶の受付だ。
あの忙しかった夏を反省して、「今度は楽なバイトにしよう」と思ったのが失敗だったか。
そう思うには、いくつか理由がある。
まず、仕事は簡単。雑居ビルの一室が無数に仕切られた店内で、客が帰ったら掃除をする。客が来たら説明をする。たまにドリンクの補充。
客が動いていない間は、ただひたすら受付で座っているだけ。これが問題だ。
選んだマンガ喫茶がいけなかったのか、客のほとんどが長時間利用で、ほとんど動かない。来ない。
しかも皆利用し慣れているようで、部屋を荒らさなければ、質問もしに来ない。私は何のためにここに居るのか分からなくなってくる。
マンガを読みながら働いていても良いというルールだが、正直、全てのマンガを読みたいと思う訳じゃない。食指の動かないマンガに囲まれていても、ちょっと読んで戻してしまうだけだ。
同じワンオペでもここまで違うのか。話し相手も居ないので、本当にただ時間が過ぎるのを待つだけになっている。
さらに、夏に覚えた食事量を完全に引きずってしまっており、座っているだけの消費に見合わない補充をしてしまっているのも辛い。徐々に冬眠の準備をする熊のような生活だ。
しかし時給は悪くないし、他のバイトは受からなかったしで、辞めるわけにもいかない。
「こちらもそろそろ良い季節です。大学が休みに入ったら、遊びにいらっしゃい。」
やっと終わった…と思いながら退勤する日々を、葉が落ち切るまで続けた。
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こんなに寒いのに、汗をかいて働いている。
このバイト先、やはりおかしい。
退屈過ぎるバイトに嫌気がさした私は、冬のペンションに住み込みで働くことにした。
だが、やられた。また騙された。
部屋数が想像の倍あった。8部屋もあるなんて。しかしこれは私が勝手に想像したのが、小さいペンションだっただけかもしれない。
でもスキー場に面した食堂があるのは、流石に言っておいてくれても良かったんじゃないか。
おかげで午前中はチェックアウトの対応と部屋と食堂の掃除、お昼は食堂で注文を取って料理を運ぶ。午後は食堂とレンタル品の対応と、
“ペンションの住み込みバイト”から想像するよりはるかに多岐にわたる仕事がある。
店長はあろうことか、私が来るとわかったとたんバイトの募集を辞めてしまったらしく、
かつこのタイミングで夏の幽霊の件がバズってしまったために、地元民も住み込み民もバイトが来ず、
結局私だけになってしまった。
「もう絶対回らないと思ってたけど、あなたが来たらなんとかなりましたね。」
なんて呑気に話しているが、店長の仕事もかなりキツくなっているはずだ。
不思議なことに、この状況になって私のモチベーションはどんどん上がっている。
忙しく、狭い階段の上り下りが多く、食堂も広くて、レンタル客も不定期に来てしんどいはずなのに。
私と店長の2人だけで、この仕事を捌けているというのが、だんだん快感になってきたのだ。
これなんだよ、私が求めていたものは。
このペンションのバイトは、私以外ダメなんだ。私だけが店長を助けられる。
客が帰っていく度、疲労も一緒に去っていく。
「働けば働くほど、あなたは綺麗になりますね。」
客商売である以上、下手な恰好ではうろつけない。
忙しく動き回るのも、夏の下地があればなんてことない。砂浜を走れれば雪道も走れる。
冬ごもり直前で、熊化を止められたことで、今はまた夏の体重を目指している。
「デザートにコーヒーゼリーを追加しようと思っているのですが、ご試食いかがですか?」
朱く染まるゲレンデでは、親子もカップルも手を繋いで、駅へ向かう姿が見える。
大学が始まってもここでは雪が降る。先に抜けてしまうのが申し訳なくなった。
「日帰り客がほとんどになるので、大丈夫です。また夏に待ってます。」
最終日お疲れ様、とご褒美をくれた店長は、地元まで私を送って帰って行った。
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忙しいのも汗をかくのも大好きになった私は、
今、畑仕事をしている。
ここにいれば春夏秋冬、私を必要としてくれる人がいる。
万年人手不足だったのは少し良くなったし、調理場は相変わらず店長のテリトリーだけど、ちいさな弟子には優しく教えているみたいだ。
「あなたがいれば、他に誰もいらないです。」
と言っていたけど、忘れてあげようと思う。
お客さんが来て、また忙しくなる。その繰り返しの日々を私は愛している。
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