右ねじです。
前回いろいろありすぎて超超長文ブログになっていたけど、今回は文章は少ないです。
なぜなら
つまづいてないから!!!
二日目はなんもトラブル起きてません。毎日そうでありたいぜ…
入国してまずはSimカードを買う。買ったのは、7日間で5GB使えるデータ用。
これで€3.49=¥500円くらい。30日分だと€14.99=¥1,600で30GB。
値段は日本の格安SIMくらいの相場だけどデータ量が4~5倍(笑)
空港からタリンまでトラムで20分くらい?
トラムの券の買い方が最初わからなかったけど、ICチップ付きじゃないクレジットカードの場合は暗証番号じゃなくて、最後の4桁を入力して、ってところが結構ありました。
んで決済するとQRコードをもらえるのですが、それを乗ったトラムの前方のQRスキャナに読み込む。出るときは何もしなくても良さそうだった。
ちなみにどこからどこまで乗っても1回の乗車であれば€1でした。
タリン周辺は移動コストがめちゃくちゃ安いので、基本歩き、さすがに空港~タリンは30分とかかかるのでトラムを使いました。
調べた感じViru停留所で降りて歩いたほうが良さそうだったので、一旦降りました。
そしたら見えたのがこれ。
ヴィル門
14世紀に作られた、タリンの城壁と旧市街の始点です。この門の左右には全周2.4kmにもなるヨーロッパ屈指の防御力を誇った要塞都市の城壁が続いています。
写真ではずっと観ていましたが、ヴィル門を実際に見て改めて「僕はエストニアまで来たんだな…」という実感がわきました笑 ロシアに来たんじゃなかったわ。
気持ちが旅モードにバチっと切り替わった気がしたので、ヴィル門からタリンに入って良かったなと思います。この始め方おすすめです。
ヴィル門…Viru Gate…
ビル・ゲイツ(小声)
着いてまずはホテルへ。入国したあたりでメールが来ていて「ちゃんと予約は残しておくよ」と言ってもらえたので一安心。昨夜のトラブル対応の手配が全て問題なく完了した瞬間でした。
着いたのは12時前、チェックインは15時からなのでまだ部屋には入れない、とりあえず荷物を預けて街に出ることにしました。
ホテルのロビーを出るとこの光景。いや~異国ですね笑 めちゃくちゃ欧米です。
A.LeCoqというのはSakuビールと並びエストニアの2大ビールのひとつだそうです。街中のテラスのパラソルは、だいたいSakuかA.LeCoqのどちらかでした。
とりあえず着いた日は名所をまわろうと思っていたので、まずは展望台へ。
僕らのホテルは旧市街の北東、展望台は西のトームペアという小高い地域にあります。旧市街の北東からトームペアまで斜めに通っているPikk通りをまっすぐ、10分くらい歩けば着きます。
トームペアが高いところにあるのは、ここが城だったからですね。日本の城でも上田城とか姫路城とか、城はだいたい城下町からさらに石垣を敷いて高いところに作りますよね。
そしてPikk通りがそのトームペアまでの一本道になってるのは、そこで迎え撃つ気満々ってことですよね。
城下町をくねくねさせて勢いを削ぎ、張り巡らせた高い城壁から敵をつつく光景が脳裏にうかびました。
これはPikk通りの一部で、海抜の高いトームペアと城壁に挟まれた壁に、アーティストが作品を展示して販売しています。
Pikk通り沿いにあった細い道、入ってみたらエストニア歴史博物館の一部でした。
氷河期の終わりからスタート笑
人類定住の痕跡、農業の始まり、現在のタリンに繋がる最初の集落の成立など、
時代が進むにつれ、徐々に都市として成長していくタリン。
ドイツ騎士団が出てきたり、ハンザ同盟による発展の後、これが出てきます。
リヴォニア戦争、現在のラトビア・エストニアをモスクワ公国が攻めてきたこの戦争は71年間も続いたんですね。この結果、エストニアはスウェーデンの傘下に組み込まれます。
タリンの発展が止まったのは、この後のことです。
18世紀はロシア帝国の支配下におかれ、20世紀初頭のロシア革命後に独立を果たしますが、20年後に第二次世界大戦が始まるとソヴィエトに占領されます。
ロシア時代に、こんな出来事が記録されています。
そして40年続いたソヴィエトの支配も、終わりを告げるときが来ました。
この辺に関しては、ここに詳しく書いています。
歴史のプレートを一歩一歩進むにつれ、エストニアの人々の歩みを追体験することができる、とても心に残る展示でした。
短く終わりますって言っときながら長くなりそうだった…笑
街はこんな感じ。建物はなんていう建築様式なんだろう?質素な装飾ながら色彩豊かでかわいらしいです。人通りは多すぎず、汚れていません。
あと、アジア人がすっごく少ないです。これポイント。写真を取るとき、どこにカメラを向けても「観光地感」がでないです笑 アジア人が観光地でアジア人を見ると観光感が強く出る。ほんとうの意味でリラックスできる旅をしたいひとは、見覚えのある顔ぶれがなさそうな所に行くと良さそうです。
ブラックヘッド商会(ギルド)のドア。これも観光スポットです。
「754種類以上のビールを取り揃えています!」
教会。
ここがタリン旧市街の展望台のひとつ、コフトッツア展望台からの眺めです。
壁の色は様々だけど、屋根の色は赤に統一されています。
展望台といっても高い塔にあるわけではなく、あくまで街の高いところというだけなので、街の様子もバッチリ見えます。
個人的にはこの三叉路は、地上から見るよりも良かった気がする。
すぐそこが港なので、ウミネコがめちゃくちゃ多かった。朝な夕なンギャー!って鳴くのがちょい辛かった。
展望台は人が集まるから、楽器のライブ演奏もやってました。
タリンにはもうひとつ展望台があるので、サササと移動
こちらがパットクリ展望台からの眺めです。
こちら側はブルーっぽい屋根もあり、ぼくはこっちからのほうが好きかな。
アレクサンドル・ネフスキー大聖堂
この街はカトリックもプロテスタントもロシア正教も仏教もそれぞれの教会があっておもろいよね。玉ねぎ頭の文化ってMiddle Eastと正教に共通しているけど、距離的に近いからだろうか?ギリシャとトルコで国盗り物語してるあいだに混ざったのか、イスラム教に分化したから途中までいっしょだったと見るべきか…
そのあとはまた少し移動して、デンマーク王の庭とか
のどかな田舎にきたみたい、と思った数分後には
この城壁をみて、「ああやっぱり首都なんだ」ってなったり。
このさきの建物が「キークインデキョク」という観光スポットで、「防衛博物館」。手前がメイデンタワー。
タリンのこれらの塔は博物館になっていて、当日券を買うと共通で全部入れるようになります。
「ようこそ」
キークインデキョクから、地下道を降ります
その先に広がっているのは、要塞通路(Bastion Passages)。各塔を地下でつなぐため17世紀に作られたトンネルなのですが、20世紀に入り第二次世界大戦が始まると防空壕として利用されました。
なので、第二次世界大戦当時の人々の生活、特に空襲があったときの様子が再現されていて、めちゃくちゃ怖いです。
なんと言っても、音がよく響くトンネルで、空襲の映像を見るのはリアルにぶち襲われちゃってる気分になってめちゃくちゃ響きました。
怖いものを見せたのでかわいいものでちょっと緩和。
Red Lion Cannonです。草食が赤いライオンということらしいのですが、これライオンなのかな…
メイデンタワーの前は広場になっていて木陰も多いためか、観光客の休憩スポットになっているほか、スケッチをする人もおりました。
メイデンタワー、乙女の塔だから?修道女の銅像が立っています
このメイデンタワーから今度は階段を登ると、城壁の中の通路を歩くことができます。
ニグリステ教会とDance of Death
古くからある教会を美術館にしたこの建物には、あるものが展示されています。
ヨーロッパ全土を襲った伝染病と同じくらい流行った、「死の前では王も教皇も市民も平等だよな」ムーブメントの作品、バーント・ノトケの死の踊り(Dance of Death)です。
このね、???って顔して骸骨と踊っている教皇や王様の顔がツボでたまらない。
他にもこのモチーフの作品はヨーロッパ各所に展示されていたそうなのですが、戦争で失われてしまい、世界じゅうでここにしか残っていないのだそう。
これで、僕のタリン歴史地区観光は終わり。観たいものはみれました!
工事現場でCD…何に使うの?笑
煽りあいの顔
いろんなお土産屋さんで観た手作りマネキン
20時でもこのくらいの明るさです。
さて、いろいろ歩き回った後は、ホテルについているSPAへ。最初はどう過ごしていいものやら戸惑っていた僕たちでしたが、しまいには毎日プールではしゃぎ、日光浴をし、日本風呂で落ち着くという溺愛っぷり。
+プールは今後ホテルを選ぶ上での条件に入れる可能性があります。それくらい楽しんだ。
さて、夕食です。Attachementオーナーから聞いていた、Sakuブルワリー直営のレストランへ。
Saku Gastro
Saku Originalは美味くてこのあとも何度も飲んだ、最高のビールです。永久凍土が溶けだした水で作っているからこその味だとか。
0.5Lで€4いかない安さ笑
料理もSakuビールに合わせてあってめちゃくちゃ美味しいです。さすが公式で「Beer in the Kichen」という料理本を出しているだけありますね。チキステが「フィッシュアンドチップスに美味さの違いってあるんだね」と驚いていましたよ。
一日の締めくくりにもってこいの、質の高い時間を過ごすことができました。
観光をし、プールを楽しみ、食事もビールも美味しいときて、至高の休暇だと言えますね。
明日はエストニアの流行の発信地、テリスキビに参ります。
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