ЧАЙКА(CHAIKA)-Ⅱ | ワレンチナ・テレシコワ




エストニアのタリンでこのカメラに出会ったというのが、やはり運命的なものを感じる。  


35mmハーフサイズカメラというジャンルで、使用フィルムは35mmなのだけどそれを縦に2半分にした、縦長の写真が撮れるカメラです。 

あまりなじみのないフォーマットですよね。撮れる写真は、チェキに近いかも。あれも縦長だよね。

作られたのが1967-1972、前のСмена-2より後に作られたものになります。



チャイカは、シリーズ累計では200万台以上リリースされてます。

 POPを書きました。

重量は多少ありますが、写真にある通り、底板にストラップがついているところを見ると、これもストリートスナップ向けなのかな。


さて、恒例の手探り仕様把握タイム。

正面左上の目のようなもの、これがシャッターです。現代のシャッターと大きさ・形ともに似ていて押しやすいです。

左下の小さい丸は、測光機構みたいなのですが、流石に動きません。

ただ測光機構があったとしても、どこに反映するの?って感じですが。


絞りはСменаシリーズと同じく、レンズの中心にあるリングを回して調整です。

これが上部。いわゆる軍艦部です。左上のメモリは恐らく撮影枚数なのですが、初回フィルムをまいた時点では動作しませんでした。後述のフィルム巻取り機構と連動しているのかもしれません。

シャッタースピードはダイヤル式ですが、ちょっとダイヤルが小さくて回しづらいかな。バルブから250まで設定できます。

そして右下に映っているレバーが、フィルム巻き上げです。まじか!1984年製のСмена8M(それも今度ブログにします)でもダイヤルで巻き上げなのに!一気に時代が進んだ気がしていますが、ASAHI PENTAX SP(1960~)には標準搭載です。常にちょっと遅れてるんだなぁ。


一つ(玄人向けではないんだけど)嬉しいのは、フォーカスをレンズを回して合わせるのですが、そのフォーカス目盛りにイラストが描かれています。

一人を撮影するとき、三人を撮影するとき、風景と一緒に取るときとかで数種類あって、本来は被写体との距離を測って設定する部分を、「この人数で撮影するならこれくらい離れるはずだ」で解決しているのが面白い。

そんなん被写体がどんな奴かによって変わるやろと思うけど、案外そこまで外れないんですよね。


ファインダーは正方形に近いです。

底部にストラップと、何やらダイヤル。回るけど何の意味があるかはわからない…

これ実は、引っ張ることができます。

撮影が終わったら、ここを引っ張って、矢印の方向に回すと、フィルムを巻き取れるんですね!それができるよう、フィルム受けの軸がちゃんと入っています。ここも、進化ですね!使いやすい!


ぜんぜん撮れますね。


人じゃないものを撮影するときは、まだ練習が必要ですね…
今使ってるのが安いISO100のフィルムなので…400のを買ってみたくなりますね。


チャイカ、意味はカモメとか、旧ソ連圏では女性の名前として、または愛称として使われることもあるようです。 数年前のアニメに「棺姫のチャイカ」というのがあったと思います。

 響きの可愛さとストレートな意味から付けられた名前のようにも思えますが、本当にそうかな? 実は、もう少し意図があるんじゃないかと、僕は思うのです。


ソ連でチャイカと呼ばれた、有名な女性がいました。 
ワレンチナ・テレシコワ。人類史上初めて宇宙に行った女性です。 
Wikipedia調べですが、彼女が宇宙飛行をした際のコールサインが、「チャイカ」だったそうですね。 
それが1963年のことです。


ソ連にとって宇宙開発は、冷戦時代にアメリカとしのぎを削り、アメリカより先に宇宙へ行った、
 (真意としてはICBM開発だが)人類史上初を取り、アメリカを出し抜くことができた、国民の誇りのアイコンです。


僕らがエストニアのアンティーク屋でピンバッジを熱心に見ていた時、
奥から店主が出してきたのが、「宇宙開発」「飛行機」のファイルだったことを思い出します。
それらは特別でした。ガサっと数十個でいくらではなく、一つ1ユーロ以上で、それぞれ値段設定がされていました。
デザインが良いのか?いえ、それだけではないでしょう。普遍的な良さ以外にも、歴史に価値があるのだと思います。


そして宇宙開発に関連する人物、ユーリ・ガガーリンやワレンチナ・テレシコワは、そのヒーロー・ヒロインとして、国威発揚のアイドルと化します。

1965年に発表された官製カメラの新シリーズに、国民的英雄の愛称を冠したのは、無関係ではないんじゃないかな。


マリリンモンローが朝鮮戦争時のアメリカ軍慰問に回っていたのは有名ですが、
人気者になると慰問や激励に、各地をまわったりします。
Sokos Hotel Viruにも、テレシコワは慰問に来ました。エストニア、そうタリンです。

ソ連の誇る豪華なホテル、Sokos Hotel Viruは、ソ連の国力をアピールするだけでなく、
KGBによって監視・盗聴されていたこと、またホテルの秘密のフロアにKGBの支部があったことは、以前記事にしました。

そのソ連ご自慢のホテルに、民衆のアイドルであるテレシコワも来ていました。


英雄は偉業を成し遂げた後、人々の希望として生き続けています。


時が過ぎ2019年になっても、タリンには「チャイカ」がいました。

 200万以上の同僚を持つカモメは、独り静かに港で休んでいた。


異邦人と共に、いまふたたび光景の狩りへ出るようです。

ほねでざいん honesty-to-desire.inc

あれもしたいこれもほしい、欲求に正直なホモサピエンスのチラシの裏 I live honesty to my desire.

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