五里霧中のもやもやをできる限り言語化した駄文だよ

いまから駄文を書くよ。

右ねじです。


もう駄文は始まっているよ。駄文だから、結論も新しい発見もないし、批評家もアドバイスもいらないよ。

本当に考えても仕方のないことを考えてしまって、吐き出したいというだけでここに書いてるよ。そうだよここも駄文だよ。この記事は駄文から始まって駄文で終わるからオセロ式に全部駄文だよ。


僕はオタクなわけだけど、なんのオタクかと聞かれるとはっきりと答えられないくらいには、色んなものがちょっとずつ好きだよ。
PCとかカメラが好きだし、アニメやアイドルも好きだし、映画や音楽、スポーツもキャンプも大好きだよ。


色々な趣味を持つと、ひとつひとつに費やせる時間というのは、短くなっていくよ。
それがすべて自分の好きなタイミングで楽しめる趣味であればまだ融通がきくけど、
スポーツ観戦・アイドルや音楽のライブ・観劇等の「この瞬間にしかない」ものの場合は、その前後も含めたスケジューリングが必要なので、なおさら他のことをする時間は減るよ。友達が多い人は打ち上げもあるよ。これは言わなくても良かったかな。駄文だし気にしないよ。

そしてフルタイムで働いている場合、基本的に平日は夕方まで何もできないし、ぶっちゃけ家に帰っても翌日仕事行くために体力を充電している状態だから、基本何もできないよ。

土日は土日で洗濯したり掃除をしたりして、人によっては病院行ったり家族の面倒を見たりして、平日より忙しく過ごしたりしているよ。


さらに今や30歳の平均年収が400万という水準になってきてるよ。仮に年2回、2ヶ月分のボーナスが出る会社だったとして額面で月25万、手取りは20万程度になるよ。そこから一人暮らしの場合は家賃水道光熱費食費消耗品費がかかって、仮にそれが14万円でおさまったとしよう。多分首都圏だったら、職場まで30分以内の電車通勤で妥協した感じだね。でもこれは例えばの話だから、首都圏でも14万円あれば基礎的な生活はできる、というところから始めよう。さあ残りの6万円、あごめん美容院とか服とかで1万くらい使っちゃうかもだから残り5万円ね。そういえば今月は飲み会が2回あったからそれで4万円になってたわ。で、貯金は?

手元に残る「自由に使っていいお金」って、毎月ほんと大した額残らないんだなぁと、一人暮らしをしてみて思うわけですよ。実家住みでバイトしてる高校生の方が自由あるぞと。全く趣味がなければ一人暮らししても何とかなるだろうけど、逆に言えば趣味を楽しもうと思ったら実家に住む以外ないんじゃないかと思うよ。でも自立しないといけないと思ったから僕は一人暮らししてるよ。それもそれぞれの考え次第だよ。


自由な時間と自由なお金が僕達にはあまり無いのが、現実なんだよ。それはもう受け入れるしかないんだよ。税金が高いとかではないと僕は思うよ。

1990バブル崩壊
1995阪神・淡路大震災(震度7)
2001アメリカ同時多発テロ
2004新潟中越地震(震度7)
2008リーマンショック
2011東日本震災(震度7)
2015熊本地震(震度7)

こんなところに住んでたら、勤め先の企業が貯めこまなきゃと思うのは仕方ないよ。数年ごとに外部要因で業績に大きな打撃があったとしても、持ち直すまでの体力とも言えるんだから。このことを考えると、この国で働く上で大幅に給与を上げてもらうのは難しいと言う他ないよ。

東京一極集中が何をきっかけで始まったかは知らないけど、地方都市が徐々にマーケットとして衰退していったとしたら、大企業も人もエンタメも東京に集まるのはある意味仕方がないと思うよ。そうして衰退した地方都市で存続するために地方の賃金が下がって、また一人東京へ出ていってマーケットが小さくなるよ。これをどうしたらいいか考えるのは、流石にもう奉仕の域だと思うよ。

そして過密になった東京で働く人は安いベッドタウンから時間をかけて通勤するわけだよ。時間がまたなくなっていくよ。そんでもって企業から見ると「人手不足」なんですってよ。一人あたりの仕事量が増えていってまた自由時間がなくなるよ。そりゃ帰宅したOLもスマホいじりながら泣くってなもんだよ。


ここからが駄文の本題だよ。


働くのは正直楽しい時も楽しくない時もあるし、やらなくて生きていけるならやらないよ。

僕達が自由な時間もお金も少ないこんな中で、それでも働く理由って何なの?って考えると、それは僕にとっては趣味の資金源、ということなんだよ。

趣味は「お金と時間を使って良い思いをする」ものなんだよ。労働とは真逆の性質で、何よりも優先すべきものだと僕は思うよ。だからさっき手取りからいくら残るか計算したときに、本当は一番最初に「趣味に10万使う」とかを決めないといけないし、スケジュール帳は可能な限り趣味で埋めないといけないと思ってるよ。仕事とか貯金とかはその空いた時間余ったお金で考えればいいよ。


大人になるまでにある程度構築した趣味が、社会人生活の活力になる。仕事のストレス発散に、趣味を楽しむ。

趣味のためにお金が必要だったら仕事もがんばれるし、趣味でめちゃくちゃ楽しい思いができたら仕事で多少嫌なことがあっても受け流せる。

この考え方はどうやら、僕だけがそうというわけじゃないみたいですね。良いですよね、趣味。


で、そうなると恐れるべきは「趣味がなくなること」および「趣味の対象がなくなること」じゃないかなぁと思うんですよ。趣味がなくなった人は仕事を我慢できなくなったり、最悪人間を辞めちゃうかもしれない。極端な話ですが。

一つの趣味がなくなるとき、その影響を受けるのが一人だったらまだいいですよ。でも、そんな職人タイプの趣味なかなかないわけで、100人200人とか、場合によっては数万人規模の「生きがい」と「働く理由」を失うリスクがあると考えたら結構怖くないですか?


じゃあ今度は、趣味及び趣味の対象がなくならないためには、何が必要かを考えるわけですよ。

趣味がなくなるという概念を体系的に整理すると、

  • 趣味の対象人物がいなくなる(引退とか)
  • 趣味を楽しむ仲間がいなくなる(不仲とか)
  • 趣味を続けるモチベーションがなくなる(評価されない・成果がでない)
  • 趣味に使える時間・お金がなくなる(負のスパイラルの結果)

こんくらいであってほしい。これ以上なくていい。

自分との勝負になる「趣味の仲間と揉めない」「趣味に疑問を持たない」「働きすぎない」はどうにかコントロールしたとしても、「趣味の対象人物が辞めない」これだけは自分にはどうにもできない。


推しが居なくなるリスクは常にある。だからオタクは「推しは推せるうちに推せ」とか言う。推しって、生命の一部を我々に提供してくれているけど、本人も一度きりの人生を生きているわけだから…

僕は自分の推しにはコンテンツを生み出すよりも、自分の人生を優先してほしいと思っていますよ。アイドルが恋愛をして幸せになるのも、スポーツ選手がより高いレベルのチームへ移籍するのも喜んで祝いたいと思う。でもいろんな考えの人もいるし、いろんなコンディションで、推しが居なくなったらヤバイぎりぎりの状態の人もいる。


最大公約数的に全員がハッピーになるためには、推しが活動を続けるのに十分な資金と、モチベーションを与え続けて、活動を通して他で感じられないほど幸せになってくれるしかない。この世にあるエンタメはすべてこの支援の仕方が、必要経費や必要やる気を上回ったときにのみ存在することができる。だからもう、趣味に湯水のようにお金を使いたいオタクほど、「趣味以外の生活を効率よく無駄なくやる」「収入を上げる努力をする」という高度な頑張りをやるしかないんですよ。


また、推しのモチベーションをアップさせるために、数字を作ってあげられるようになるためには、どうしたら良いんでしょうね。一人ひとりに合った刷り込み方をしないと逆効果なんだと思うけど、それをするためには一人ひとりと向き合っていた過去が必要になるので…推しのためになるオタクへの道は、一朝一夕にはいかないんだと思うよ。

頑張って広めようとしても、結局広めたい相手も限られた時間とお金の中で趣味を楽しんでいるわけだから、その時間を邪魔せずに、スキマ時間にちょっとだけ見てみようかなと思ってもらえるような方法で、さり気なくそこに良さをおいておく以上のことはできないよね…。勧め方が悪いと推しの印象まで悪くなってしまうから。目障りにならない程度を見極めながら根気強くやって、その結果幸運にも、その人の趣味ビルボードに推しの名が上がっていくのを待つしかないんだよ。

最終的にハマってくれなくても、推しも相手もあなたも悪くない、ということは認めないといけないよ。一人ひとりに最適な趣味はあって、それは自分自身にしか評価できないものだから。

冷静に、ひとりひとりに合った勧め方を考えよう。



で?っていう話なんだけど、駄文なんで許してください。

なんでこんなことを考えたかと言うと、20年追いかけている浦和レッズと言う趣味に、自分の中でモチベーションが低下してきていたからです。


推し始めてから10年くらいはどちらかと言うと強いクラブだったので、すべてが楽しかったし、サポーターが増えてたし、熱いサポートをモチベーションに選手が燃えて、優勝するような好循環があった。

そこから先、5年くらいは優勝はできなかったり降格の危機があったりもした。

そしてまたトーナメント戦は優勝できたりもしたけど、10年以上リーグ優勝できてないという負い目があって、クラブもサポーターも焦りがあったり、そのせいで後手後手の人員計画になったり、また降格の危機に瀕したりした。


そんな様子を見ていて、20年見てきたクラブが明らかにぐらついている今、自分の推すモチベーションも揺らいできたんです。

僕は浦和レッズが好きだけど、スポーツだから勝てない時もあると思うけど、前に進むきっかけが無いこの2019年は試合観戦に向かうのが本当に嫌だった。

そんなときに「浦ビュー」さんという戦術分析コンテンツがあって本当に良かったし、浦ビューさんが解説したSlackチームで、試合を見ながら議論したりACLの対策考えたりしたことで、「浦和レッズと言うコンテンツを楽しむ方法はまだ有った」と思ったのです。


最終的に僕は、「勝つ浦和レッズ」が好きなんじゃなく、「サッカー」が好きなんだと趣味を再定義することにしました。浦和レッズじゃなくてもいい。サッカーは面白いから、日本代表でもJリーグクラブでも、面白いサッカーを見たい。その上で、愛着のある浦和レッズを応援することにします。

だから僕は浦和レッズの試合観戦を通して、そこで起きているサッカーの面白いところを見出し、楽しんでいこうと思います。


で!ごめんね長くて

浦和レッズはサポーターが多いし、その中には言葉遣いが荒かったり、短気な人も多いです。僕の父も滅茶短気ですし。そういう人が、

  • 試合を見に行かず、グッズも買わず → 資金を注がない
  • サポートせず           → モチベーションを与えない

となってしまうと推し(浦和レッズ)が継続できなくなる!という危機感を覚え、モヤモヤ悩んでいるんです。そのモヤモヤに、みなさんを巻き込んだのでした。


浦和レッズにモチベーションを与えるには、サポーターができることは資金を注ぐことと、モチベーションを与えることをやらないといけません。僕は2020年はそれをやってから、趣味としての浦和レッズを楽しもうと思います。

グッズを買い、スタジアムに行き、試合を声でサポートし、新規のサポーターが増えるために手段を講じ、クラブを支えたあとは、浦ビューSlackの皆さんと、実家の家族と、戦術分析を楽しむ。このルーティーンをやっていこうと。


新規のサポーターを増やす(誰かをスタジアムに連れて行く)ためにも、戦術分析は重要になると思います。

今僕は正直、「浦和レッズだから好き」ぐらいの語彙しかありませんが、浦和レッズが好きじゃない人からみたら、良さはどこにもありません。

歌やアイドルの美貌のような、伝えやすい良さではないので、サッカー好きを増やすのはなかなか簡単なことではないなと、先日ふと思ったのでした。


そんだけです。




駄文はつづくよどこまでも、いつまでも


また次の駄文でお会いしましょう。

ほねでざいん honesty-to-desire.inc

あれもしたいこれもほしい、欲求に正直なホモサピエンスのチラシの裏 I live honesty to my desire.

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