私は不変である、と 自信を持って言えますか?
いきなりなんだと言いたくなる気持ちもわかる。だがよく考えてみてほしい。
確固とした「自分」を持っていますか?
俺は俺だと、わが道を歩むことができていますか?
ここで少しでも考え立ち止まってくれたなら、あなたは私の罠の餌食だ。
私なんかの言葉に影響されてちょっと考えちゃってるじゃないか。
自分に自信を持て。ブレるな。
結構な暴言を吐いたが、私は超がつくほど影響を受けやすい人間である。
急にこんなブログを始めたのは上田啓太さんの「真顔日記」を読んだからだし(アスキーで拝見していました)、
さっき食べた夕食のおでんは、近所のスーパーでおすすめされていたので購入した。
大根2個、こんにゃく、卵、ちくわ、こんぶ、白滝、魚のすり身にごぼうが入ったやつと8点も入っていて、198円。これだけ食べていれば今年の冬は越せそうだ。
こんなに影響を受けやすくていいのかと思ったりもするが、私の人生ずっと人に影響されてここまで来ているのだからしょうがない。
小学3年生の時、仲が良かった森君がサッカー少年団に入ることになり、「じゃあ僕も」と入団。当時浦和レッズが降格するかしないかで俄かに盛り上がっており、浦和に勤めていた母から我が家にサッカー(というより浦和レッズ)が浸透し始めていた頃だった。浦和レッズはその年にJ2に降格した。
私は背が低かったのに太ももが太かったので「この子はキック力がありそうだ!」と変に期待されていた。結局だた太ってるだけだったので大成はしなかったが、以降現在に至るまで17年ほど続く趣味になった。
中学に上がる直前、私は自分が頭がいいと思っていて「埼玉県で一番頭がいい学校に入る」と両親に言っていた。今どうなっているかはわからないが、当時は上から公立なら浦和高校、大宮高校、川越高校。私立なら慶応志木、早稲田本庄あたりになるか。私は早稲田本庄に入りたくて頑張っていたが、塾の同じクラスの子が「滑り止め」を受けると言い、しかもそこも早稲田本庄と同じく大学の付属校だったので受験し合格した。入学式で全校生徒が男しかいなく、そこで男子校だと気付いた。受験の時は男女別にされてるだけだと思っていたので本当に驚いた。
高校では正直あまり印象的な思い出はないが、中学の時の塾の友達がいて彼がとてもイケてたのでだいたい一緒にいた。放課後に東京に出て遊ぶのが日課だった。(まぁ池袋でしたが)
大学に入って一番の難所であるサークル選びも、高校から一緒に進学した一人が
「映研みたいなサークルの新歓に行きたいからついてきて。参加費は持つから」
と言ったのでついていったらそこで4年間楽しく過ごしてしまった。「映研みたい」というのはそのサークルのある一面を表しているにすぎず、そこは「映研みたい」でもあり「学祭サークルみたい」でもあり「ラジオ局みたい」であり「テレビ局みたい」であり、そしてその実態は映像制作を中心としたなんでも請負サークルだった。
就職活動が始まる前、親友のTが私を「就活の練習ができるところ」に連れて行ってくれた。当時はまだ珍しかった、グループディスカッションの練習を実際の企業の人事担当が見て評価してくれるという会だった。
私はそこで知り合った会社に誘ってもらい、今勤務している。そこ以外の面接などはボロボロで、Tの誘いがなければ今頃バイトでもしている所だった。
今住んでいる家は会社から歩いて10分のところにある。最初は池袋あたりで探していたが、上司に相談したら近くにあると教えてくれたのだ。池袋もよかったが、何よりTが遊びに来るときに喜んでいるのが素晴らしい。「洗練された場所にいる」気がするのだそうだ。隣にいる寝巻の男を見てみろと言いたい。
これだけ人に影響を受け続け、それがすべていい方向へ転じているのだから、そりゃ何かの意見に従いたいという気持ちも芽生えるというものである。考えずに済み、幸せになれているのである。こんなに嬉しいことはない。感謝しかない。
女子高生なら「それな」と共感してくれるだろう。セイそれな!
みなさんのおかげで した。
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