♪~ パン パパパパン パパパパン パパパパン パン
木々をかき分けてけもの道から現れたのは、朗らかな青年二人と、足腰のしっかりしたご老人。一見穏やかに見える彼らの顔つきだがしかし、瞳の奥にはくぐり抜けてきた修羅場の数が窺える。人の一生というものは山あり谷あり、病める時も健やかなるときもあることを知っている。成程その経験と腕前を持つが故に、彼らはたった三人で旅ができるのだろう。
そんな彼らとは裏腹に、自由も力も持たない民衆はいつも仕事に勤しんでいた。日がな一日働いても、豊かな生活が手に入るわけではない。むしろ、わずかな儲けで明日を食いつないでいく人々も、この町にも数多く暮らしているようだった。
町民がせこせこ働くなか、年貢を締め上げている悪代官は、米価をつりあげている悪徳商人の蔵屋敷を訪れていた。
資源に乏しいこの藩の代官は、経済をほぼ支配する商人の協力なくしてはやっていけない。それはどんなに有能で、真面目な代官でも同じこと。商人にはそれがわかっている。故に商人に取り入りたいのは代官の方だったとしても、甘い言葉をささやく。
”商人から唆された”という状況が、代官の心を開く何よりの口説き文句になる。初めは恐る恐る慎重に事を進める性根の持ち主であっても、こやつの前では次第に警戒心が薄れていき、代官が商人に目こぼしをしてやっていると、「思わせる」。そうすると、悪だくみに喜んで乗るようになるのだ。代官とて人間なのだ。
「ようこそお代官様。はるばる我が屋敷までお越しくださり、誠にありがとうございます。」
「かまわぬ。お主が今度は何を思いついたのか早く知りとうて知りとうて、日が落ちるのが楽しみで仕方なかったわ。」
「それは何よりでございます。ささ、奥へどうぞ。」
商人の屋敷には逆らうものはいない。密談をするのには、監視の行き届いた代官の居宅より適している。緊張が緩んでいる代官が口を滑らせないとも限らない。商人はその辺りの扱いも熟知していた。
部屋につくや否や、代官は先に上座でゆったりと寛ぐ。
「のう、今日はいつもの”もてなし”は無しか?」
出会って数年ながら、盃を交わした回数は数知れない。いつもなら直ぐに出てくる晩酌セットが用意されていないことに気づいたあたり、この代官も元は有能な役人だったのだろう。
「左様でございます。今宵は趣向を変えて、このようなものをご用意いたしました。」
商人が手を打つと、襖を開け漆塗りの小箱を持った奉公人が入室してくる。代官の前まで進むと、黒々と光る箱を置いて、どこかへ消えた。
「なんじゃ、これは」
「わかりませぬか?”山吹色の菓子"にございます。それも、とびきり甘い、特別な品でしてな。」
紐を解き蓋をあけるとそこには、鮮やかな黄色をした円形の何かが、香ばしい匂いを纏って収められていた。
「お納めくださいませ…」
「いや待て、なんだこれは」
「山吹色の菓子でございます。」
「山吹色の菓子か」
「山吹色の菓子でございます。」
山吹色の菓子だった。
「”山吹色の菓子”というのは、山吹色の菓子なのか?」
「お代官様。私は禅僧ではございませぬ。」
「わかっておる。こういう場合、山吹色の菓子というのは隠語で、本当に山吹色の菓子が出るのは違うのではないか?」
「はて?何のことやら」
「儂がおかしいんかな…」
すっとぼける商人を初めて見る代官は、不安半分期待半分でここに来たことを若干後悔し始めた。こやつ、ネタが尽きてごまかしておるのか…。半ば呆れながら“山吹色の菓子“を取り、苛立ちをぶつける様に齧る。
…これは、なかなか…。
「ふん、美味いではないか」
「さすがお代官様。わかってくださると思っていました。」
「美味いが、それがどうしたのじゃ」
「この藩の米は、我々の狙い通り高騰しております」
商人は涼しい顔で、縁側に建てられたろうそくの火を吹き消しながら続ける。
「儂が来る前からずっと、年貢を限界まで引き上げているからな。しかしこれ以上は無理だと、前にも言っただろう」
「左様でございます。それにこれ以上米価を吊り上げても、買えるものがいなくなってしまう。そうなってしまえば、この町から住民が居なくなってしまいます」
「そんなことはわかっておる。まさかおぬしから説教されるとは思っていなかったが」
「説教などとんでもない!」
「回りくどいぞ、手短に申せ」
待ってました、商人は代官に向き直った。
「では申し上げます。今後は年貢を引き下げていただいて構いませぬ。」
「…何を言っておるのだ?おぬしも儂も儲けられなくなるではないか」
「実は、近々小麦が安く仕入れられそうでございまして」
「小麦がどうした」
「小麦は米と違い、粉にする石臼がなければ食べられませぬ。ですが水と米飴を加えて焼けば、このように膨らみ、腹が膨れるものが作れます。」
「それはそうだが、年貢の割合が下がれば皆米を食べるだろう」
「もちろんです。しかし余った米と安い小麦で菓子が作れると広まれば、きっと皆試しに作るでしょう。皆が作れるようになれば、たくさん作って売り歩けます。もしこの町の者とお代官様が気に入るなら、江戸でも売れるでしょう。」
「成程。それが狙いか。」
「いえ、狙いはそれだけではございませぬ」
今までになく熱心な商人は淀みなく話し続ける。
「年貢を下げれば、お代官様の評判は必ず上がりまする。これまでの何代もの代官とは違う素晴らしいお方だと。そして新たな名産品が生まれれば、この藩の評価も、幕府からお代官様への評価も上がるでしょう。」
「年貢を下げるのはそれまでの辛抱だと?」
「それまで年貢を下げた分を補填する米は、この時のために我が蔵に蓄えてございます。そこはご安心くださいませ。」
「聞けば聞くほど、申し分ない提案だが…なぜだ?」
「私はこの藩のおかげで、こうして力をつけることができています。人々は貧しくはなくとも、豊かとは言えませぬ。一時の施しでは作り出せぬ財産を、この藩に返せるときが来たのです。」
障子から透けて見えるほど、今宵は月が明るい。
「米の収穫量が増え、備蓄米が潤沢になり、小麦が安く手に入るようになる時を、私はずっと待っておりました。これまでお代官様方に協力いただき、米を厳しく管理してきたのも、全てこの藩のためになることと思ってやってまいりました。」
「これがおぬしの夢だったのだな。」
「父から受け継いだ悲願でございます。」
「悪だくみは親譲りか。すっかり騙されておったわ。」
「…今日のところは帰るとしよう。」
「お代官様、どうかお願いいたします。決して後悔はさせませぬ。わたくしめの一生を賭けて成功させて見せますゆえ、どうか信じてくださいませぬか」
「心配するでない。悪いようにはせぬ。この”山吹色の菓子”はもらっていくぞ。…土産物にもぴったりかもしれぬしな。」
「今僕たちが食べているクッキーに似たものが、実は江戸時代の日本でも食べられていたんだよ。」
「こんな話があったかどうかは知らないけど、その時はもしかしたら、”山吹色の菓子”と呼ばれていたかもしれないね。」
「くだらないこと言ってないで手を動かして。もうすぐ子供たち来ちゃうよ。」ピンポーン
「はーいよく来たね、今開けるよ」
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