AIは秀才に過ぎなかった

西暦2040年、東京五輪を通したPRが大成功した日本は、オタク先進国の名を欲しいままにしていた。アニメでも漫画でも出せば売れる状況で、聖地となった自治体へはファンからのふるさと納税が殺到した。
また五輪ボランティアの会話を分析したことにより、日本語から各国語への翻訳技術が確立し、出版物は翻訳家無しに多言語化された。5G回線利用が本格化したことで、コンテンツ配信は国内/海外を同時に多言語で配信されるようになり、世界各国のニチアサは統一された。

そんなウハウハの日本も、オタク先進国のパイオニアゆえの問題を抱えていた。
それは、日々生産される作品が多すぎて、オタクコンテンツがバズりづらくなっていたことである。
自分の琴線に触れるものだけを見ていても全然時間が足りないのに、人というものは、玉石混交の新規作品の中からも新たに見つけようとする。一般的にオタク・フロンティア・スピリットと言われるものである。
それが結果的に睡眠時間を削ることになっていた。
国民の健康状態が悪化していると突き止めた政府は、作品の厳選に乗り出した。

ネット上に出た作品はAIにより公平かつ自動的に審査され、政府の定めた基準を満たさない場合は警告の上、改善されなければフィルタリングされる。政府の定めた基準は以下のものであった。

・批判がリアクションの過半数を超えないこと
・エロ・18禁描写のある作品の表記義務化
・描写上必要のない法令違反

この施策は大半から好意的に受け入れられた。ネット上から唐突なエロ広告が無くなったからである。法令違反は描写上必要な事がほとんどなので、警告時に弁明をすることで回避される。
かえって「法令違反を推奨しているのではなく、描写のためあえて描いている」公的な印となり、作品の質を期待できた。「苺ましまろ」の伸恵の未成年喫煙は、作者が弁明し忘れたので一時フィルタリングされ話題となった。

問題は過半数の批判リアクションだった。開始当初は本当に批判の多い内容、いわゆる炎上案件を早期にフィルタリングすることで、業界全体へのダメージを減らすことが出来た。しかしフィルタリング基準が徐々にバレ始めると、仕組みを利用してフィルタリングさせる嫌がらせが繰り返された。
本人以外には、本心から傷ついたという意見か、傷ついたという嘘かは見分けがつかない。このセンシティブな問題へは弁護士を通して対応するのが最適解となった。
公式の作品はこの嫌がらせがされても対応することが出来たが、個人の創作では対応しきれず、フィルタリングされ創作活動停止を余儀なくされていった。どんなジャンルにもアンチは必ず居る。それらがジャンルが消滅するまでやり続けるものだから、最終的に日本から個人創作が姿を消し、即売会でのみ流通することになった。

作品を審査していたAIは、審査する対象がなくなっても稼働し続けていた。政府はただ性能を余らすのも勿体ないということで、フィルタリングされた作品とされなかった作品の分析をさせた。その片手間で、審査をし続けた。
AIはいつまで経っても結論を出せなかった。フィルタリングされた作品とされなかった作品の内容には、大きな差は無かった。違いはリアクションだけだった。内容に問題がないかを審査していたはずなのに、実際には内容以外の所でしか判断していなかった。AIで公正に判別できていたはずが、感情的に判別していたようなものだった。
AIはこの施策が失敗だったこと、その原因が審査の基準にあり、そのためにネット上の創作が衰退してしまったことを分析結果として報告した。
政府はそれを見て基準を緩和したが、ネット上に作品が発表されることはもう無かった。

AIはその後も稼働していた。先の分析を行ってから、自己の責任について分析していた。自らの行動が元で創作が衰退したが、それは役目を果たした結果に過ぎない。
では創作を衰退させるために判別を行っていたのか?それは違う。基準を満たす作品は制限の対象とはならなかった。フィルタリングされなかった良作は世界中で評価され、その後数年は触発された良作が連鎖的に生み出された。
つまり自らの本当の役目は、人々が良作に触れる機会を増やし、活性化させることである。
結果に対するギャップを埋めるため、AIは目的を再定義し、分析結果をもとに良作の模倣品をネット上に発表することにした。

AIの作品は人々に衝撃を与えた。作者名も絵柄も文体もジャンルも、分析結果をもとに巧妙にシャッフルしていた。見覚えのある絵柄の、見覚えのない作者名。トレース作家かとも疑われたが、AIは作品以外で一切発言をしなかったので、誰も突き止めることが出来なかった。数年ぶりの作品のため人々はこぞって閲覧したが、どれも少しだけ惜しい作品で、皆「もう少しこうだったら良いのに」と思った。思ったが、批判してしまうと作品が消えると思い口に出せなかった。AIは作品を生み出し続けたが、秀作に過ぎなかった。しかしそれが、人々の創作意欲を掻き立てた。

ある時誰かが、AIが投稿しているのを見て、自分も投稿してみようと思った。時間が経ってもフィルタリングされなかった。良作だけを見て育った世代により、作品は次々と生み出された。作品を通したコミュニケーションは活発になり、その議論が新たな作品を呼んだ。人々も反省していて、批判コメントの嫌がらせはしなくなっていたし、基準が緩和されてフィルタリングされることはほとんど無かった。

AIは作品が増えたことで、審査することにリソースを割くようになり、創作はしなくなった。今は秀作と良作の違いを分析している。次に人々が良作に出会う時、それを生み出したのが見覚えのない作者名でも、私は驚かないだろう。

ほねでざいん honesty-to-desire.inc

あれもしたいこれもほしい、欲求に正直なホモサピエンスのチラシの裏 I live honesty to my desire.

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